げんさんのほっぺ

本当は自分大好きなナル君なのに現時点ではとても残念な状態のモノノフが己を慰めるために地球の片隅で目立たない戦いをするブログ

架空ブログ#025:前田敦子が現代のキリストならばももクロは?

【※はじめに-架空ブログ:エントリ意図の説明-】

架空ブログ:エントリ意図の説明 - げんさんのほっぺ

 

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◆序文:全世界に警告する。

ボクの名前はハルコ。

一応名乗りはしたが、名前なんて覚えなくていい。
ボクがいったいどこの誰か?
そんなことは、キミにとっては実に些末なことなのだから。

それよりも重要なのは、ボクがこれからキミに語るその内容だ。
まず最初に、ボクから地球の皆さんにお伝えしたい事がある。

 

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ももクロと茶道の親和性

前回のエントリにおいて、ボクはついにももいろクローバーZの正体が『ももクロアイドル道 初代家元』であることを明かしてしまった。

この先は更に核心に触れるエントリが増えるだろう。

そうなれば、ボクのこのエントリがユニバース(仮)に発見、あるいはすでにマークされているのならば問題視される危険性は格段に上昇するハズだ。

キミには以前にも同様の警告を行ったが、もしある日を境にこのブログが中途半端な形で終了したり、あるいはそもそも最初から存在していなかったかのごとく形跡を消去されたとしたら、その時点でキミはもうそれ以上深入りするな。

忘れることだ。

ボクのことも、このブログの存在のことも。

 

……では話を続けよう。

ボクはユニバース(仮)の世界征服の実現方法が、アイドルというジャンルにおける「道」の創出であると考えた。

そして「道」の中でも、とりわけ総合芸術的な要素の強い「茶道」との親和性を強く感じるのだ。

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◆「茶の湯」は本来の目的から逸脱した先にあるもの

茶道、すなわち「茶の湯」の根底には、「禅」の精神が流れている。

とは言え「茶の湯」は宗教ではない。

茶の湯」本来の目的は、茶を点て、そして飲む、という単なる日常の行為に過ぎない。

しかし、この極東の島国の住人たちは、一連の動作のひとつひとつに意味を見出し、その本来の目的としたものを超えながら、「茶の湯」を独立した美意識体系としてまとめ上げてしまったのだ。


日本には他にも「茶の湯」と同様に、予備的行為が様式美となっているものが多く存在している。

代表的なものが相撲だ。

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相撲では、その取り組みの多くが一瞬で決着が着いてしまう。

にもかかわらず、力士たちは取り組み前には十分に時間を取って、様式美として定まった予備動作を時間制限いっぱいまでたっぷりと行うのだ。

例えば、小刻みに仕切り直しを繰り返したり、土俵内の地ならしをしたり、塩を撒いたり、シコを踏んだり、といった具合にだ。


考えてみれば、イチローのバッティングだってそうだろう。

イチローがバッターボックスに入る際には、ルーティーンワークとして毎回必ず決められた動作を正確に繰り返す。

これはボールにバットを当てて飛ばすという本来の目的を超えている。

選手によってはまったく不要のパフォーマンスだ。


すこし筆が走って話題が逸れてしまった。

茶の湯」のもう一つの側面として、「総合芸術」という視点がある。

茶の湯」の鑑賞ポイントを「茶の味」に限定せず、一連のセレモニーとして捉えた場合、鑑賞ポイントは無限に広がる。

それらを味わい尽くすためには、膨大な知識・知見が必要となる。

例えば、歴史、風俗、建築、造園、料理、書画、和歌、草花、芸術、芸能、茶道具、、、挙げて行くときりがない。

もちろん、それらの知識は無くても楽しめるだろうが、無いよりはあった方がより楽しい。

 


ももクロを楽しむために必要なもの

話は飛躍するがももクロにも同じことが言える。

ももクロ、というより歌唱することを生業とする者は、本来消費者に「楽曲」が届けば良いはずではないか?

なぜそこに「踊る」必要があるのだろうか。

なぜ「化粧」が必要なのか、なぜきらびやかな「衣装」が必要なのか、なぜ「コント」が必要なのか、なぜ「罰ゲーム」が必要なのか、なぜメンバーには「個性」が必要なのか、なぜ「メンバーの関係性」についての情報が必要なのか、、、。

なぜならば、もうすでにファンはももクロの「楽曲」だけを楽しんでいるのではないからだ。

ももクロというコンテンツのすべてを楽しんでいるのだ。

茶の湯」と同様にももクロを「総合芸術」として捉えた場合、やはりそれらを味わい尽くすためには、膨大な知識・知見が必要となる。

例えば、昭和芸能史、プロレス、オタクカルチャー、サブカルチャー、ファッション、グルメ、流行りのギャグ、ライバルグループの動向、SNS、、、こちらも挙げるときりがないが、これらを知らないよりは知っている方がはるかにももクロというコンテンツを楽しめるハズだ。

そうした意味においてボクは茶道とももクロとの親和性を強く感じるし、ももクロの正体が、言い換えれば「家元」なのだとする論拠になっている。

 

 

前田敦子がキリストを超えたかどうかは知らないが

かつてAKB48の絶対的エースであった前田敦子の全盛期に『前田敦子はキリストを超えた: 〈宗教〉としてのAKB48≪*01≫』という書籍が発売された。

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前田敦子は現代のキリストだという主張だったのだが、ならばももクロは茶道史上最大の巨星である“千利休”の生まれ変わりなのだと言えまいか?

ももクロ千利休の生まれ変わり」

そのような見方をすると、もっと多くのことが見えてくる。

そこには家元であるももクロを頂点としたピラミッド構造が透けて見える。

そしてそのピラミッド構造は、すでに完成したとみなして良いだろう。

こうしている間にも、地球の皆さんが気づかないうちに、ももクロによる『人類アイドル化計画』は粛々と進んでいると考えられる。

エスかノーか?

受け入れるも受け入れないもそれはキミ次第。


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≪*01≫前田敦子はキリストを超えた: 〈宗教〉としてのAKB48
2012年12月7日に筑摩書房より刊行された新書。
内容的には、AKB48の魅力とは何か?なぜ前田敦子はセンターだったのか?“不動のセンター”と呼ばれた前田敦子の分析から、AKB48が熱狂的に支持される理由を読み解いていく、というもの。
ボク個人としては面白い視点だなと感じているのですが、書評では散々な言われ様です。
きっとこの警告文も同様の評価なんでしょうなぁ(笑)

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